米倉良好の「私、失敗しかしませんので!」

無免許でも意志があればいいのよ

ミスしちゃったノートを書いてる

仕事でミスをした時、やり方を直された時にそれを記録するデータを取るようにした。

 

これになんの意味があるか自分でもわからないけどやることにした。

 

 

さて、たまに見返してみる。

今のところ全く約に立たない。

 

 

だいたい、記録するほどのミスは脳裏に焼き付いているから読み返すまでもない。

 

問題は、記録するほどでもないミス。

というか、記録の仕方が難しいミスが問題になる。

 

 

んーと、例えば、15325+564654の計算の答えを間違えたとする。

で、ミス記録ノートに「15325+564654の合計の正解は579,979だ」と記録したとこで計算ミスが減るはずもないわけで。

合計の数を暗記することになんの意味もない。

毎回同じ数字の計算ならともかく。

 

じゃあどうすりゃいいんだ?

 

んーと、自分で思いつく限りだと、まずピンポイントでミスの記録をしても意味ないからもうちょっと視野を広げよう。

「○○のデータの計算はミスをしやすい」とかに書き方を変える。

 

んー、でもこれも意味あるか?

 

 

仕事の出来る人間は違う思考をしている気がする。

 

自分がミスをした場合、根堀葉掘り質問攻めをしてくる。

これは非常に苦痛だけど恐らくここが違うところだ。

 

「どんな手順で計算の仕方をしたか」

「数字の意味を理解しながら計算していたか」

「なぜミスに気づかなかったか」

「違う方法はなかったか」

「このミスによってその後の仕事にどんな影響が出るか把握しているか」

「そもそも計算をする前に間違える気がしていなかったか?」

 

根掘り葉掘り聞かれる。

けどこれ嫌味ではないのだ。(最初は嫌味だと思ったけど)

 

つまり「次はミスしないように気をつけます~」で終わらせないための思考なのだ。

 

どうすれば、何を変えれば、何に着目すればミスが無くなるかを具体的に考えて解決方法を見つけたいという思いから質問攻めをしてきている。

 

それに気づくのに私はかなり時間がかかった。

 

 

ああ、そこまで分析してミスをしない仕組みを生み出そうと考えるものなんだ、と気づいた。

 

 

それが良いのか悪いのか仕事の出来ない私には分からないけど、意味のなる質問攻めなのは理解した。

 

 

ミスは出発点なのね。

怒られるゴールではないのね。

 

 

まあミスしたことに変わりはないんだけど。

しかもそこまで徹底されると次に同じミスをするのが余計怖いんですけど!とも思ったりしてしまうが怖がってもミスは減りませんので、ごめんね~スタイルでいくかな。