わからない理由をわからない人に聞くな
「どうしてわからないの?」って聞かれると困る。
逆のほうが前向きじゃん。
古代エジプト人に
「どうして現代人は人力でピラミッド作れないの?」
って聞かれたら、
「いや、作り方がわからないから作れないんだよ!」
としか言えないし、
ましてや、古代エジプト人に
「どうしてわからないの?」
と聞かれたら
「いや、わかろうと研究してるけどわからないんだよ!」
としか答えられない。
逆のほうが建設的。
「どうやって人力でピラミッドを作ったの?」
この方がお互い絶対上手く行く。
それでも
「いや、作り方は好きなやり方でいいんだから君も作りなよ」
と言われたら、
「いやそれがわからないんだけど。。。」
この会話のゴールは果てしなく遠い。
エジプト人からしたら作り方なんてみんな知っててわざわざ別に教えるほどじゃないから〜。
の感覚。
江戸時代の人が現代にタイムスリップしてきてスマホを見て驚愕したとしても、現代人からした、
「は?これみんな持ってるスマホだけど。別に凄くないじゃん」的な。
「いやいや、こんな板みたいなものに人が映って喋って動いて凄すぎる!」
この感覚の違い。
これが同じ現代人同士でも起きるもんなんだなあ。