米倉良好の「私、失敗しかしませんので!」

無免許でも意志があればいいのよ

子育てと価値観となんだかんだ

眠れないので書いてみる。

今から書くのが考えの整理なのか愚痴なのか理解なのか分からないけれど。

 

子育てを5年やってきて感じたこと。

まずは夫婦の価値観の違い。

というかこれが全てかもしれない。

価値観が違うことは悪いことだとは全く思ってない。自分には思いつかない意見や方法を取り入れることが出きるから、考え方の修正や新しい学びがある。

 

性格の不一致だと良いことではないけど、価値観の違いは大切なのかもと思う。そこは私は恵まれている。

 

それを踏まえて、子供を大事に思う気持ちから生じる価値観の違いが夫婦にはある。

 

例えば、子供に風邪をひかせたくないと思うのは普通だ。

しかしその方法は人によって全然違う。

寒い日は子供を外には絶対に出さない!という親もいる。

逆に寒さに強くなるために薄着で外でどんどん遊ばせる親もいる。

やっていることは真逆だ。

しかし子供への気持ちは一緒だ。

大げさな例だけど、これも価値観の違い。

 

子供が小学生くらいになると自転車に乗りたがると思う。

その時に、あんな危険な乗り物で交通事故にあったら大怪我をするから絶対乗らせないという親もいる。

逆に、自転車は交通事故にあう危険な乗り物だから沢山乗らせて安全な走り方を学ばせようという親もいる。

どちらの親も子供にも交通事故にあってほしくない気持ちは同じだ。

 

気持ちは同じ・・・なのだけど、強迫症的な考え方を持つ親もいる。

例えば、過度に子供に清潔を求めることもそうだと思う。子供が外で何かを触るたびに除菌シートで子供の手をゴシゴシ拭く親もいる。家の中は徹底機に綺麗にして子供が使うお皿は徹底的に除菌して、お風呂も年末の大掃除並みに時間をかけて掃除をする。

そこまでやらなくてもと周りが思うかどうかは関係なくて、本人がやらないと気が済まない点が強迫症的なのだと思う。

 

さて、じゃあ逆に風呂掃除は月に一回しかやらないようなズボラな人が丁度よいのかと言ったらそんなわけもない。そこが難しいところ。

 

結局、基準なんてないから意見が分かれるし価値観は様々。

 

で、何が言いたいかというと

夫である私はどちらかというとズボラタイプ。

まあ適当でいいじゃん派。

妻は子供の健康の為なら最善を尽くすタイプ。

と言っても強迫症的に〜というわけではない。

 

「健康の為に最善を尽くす」と書いたけれど、ここがものすご〜〜〜く悩みどころになる。

 

例えば(例えばかりになるけど)、子供をスイミングスクールに通わせる検討をしているとする。

子供の水難事故は多い。お風呂で溺れることもある。危険だ!スイミングスクールなんて危ない!

・・・と言う人がいたとする。(私の妻のことではなくてあくまで例え)

凄く極端な判断に聴こえるけど、これも子供のための最善な判断になる・・・のか???

もちろん言っている人は最善と思ってるはず。

この考えが正しいかどうか誰が決めるんだろうか。

もし私の妻が同じ考えだったら、私は夫として妻の考えを直すべきなのか?たどしたらどうやって直すんだ??「おまえは間違っている!」と言ったところで絶対無理。だって妻は子供のことを考えて最善の判断をしているから。水に入らなければ100%溺れる危険はない。うん。数学的に正解だ。

 

学校に行かせなければいじめられる可能性もない。

運動をさせなければ怪我をする可能性も少ない。

 

誰かが上記のことを言ってるというわけではなくて、極論するとそうならない?という感じ。

 

なんかあれだ、競馬で絶対損しない方法は馬券を買わないこと。みたいな感じ。

 

それはともかく生きるっていうのは、どんなに安全に気を使っても運と確率で出会ってしまう不幸からは逃れられない。悲しいことだけど。

出来るだけ、その確率を減らしたいという気持ちから、ありとあらゆる危険性を回避しようとするとめちゃくちゃなことになる気がする。

 

それこそ、核シェルターみたいな部屋から一歩も出ないで死ぬまで生活する、みたいな。

交通事故の危険もない。人から病気をもらう心配もない。

 

でもそれは無理だし楽しくないし生きてる意味ないし。と、いうのは誰でも同じ意見だと思う。

どんなに強迫症的な人でも実際にそこまでする人はいない。核シェルターに子供を住ませてる話は聞かないし。

 

となると、人は危険がつきものの世界で生きていく他ない。子供が誘拐される事件や水難事故や交通事故に合うニュースを見ると辛いけど、そういう世界で生きているし、逆に楽しいことに出会う確率はずっと高くて生きる意味はそこにある。

 

えーと、何を書いているのかわからん状態になってきたけど、「子供の為の最善」って言うのはなんだろうと考えると、風邪をひかない環境に閉じ込めるよりは、風邪をひくかもしれないけどやりたいことをかることかなとも思う。

自転車は危険だけど自転車は楽しい便利な乗り物。

 

お餅は喉に詰まると命の危険があるけど、美味しい。

 

何事にも裏と表がある。

 

そう考えると、強迫症的な人は超マイナス思考じゃん。

飛行機は墜落するから乗るな!的な。

 

 

さて、話は一向にまとまらないけど指が疲れたからここまで〜

 

 

派遣社員の正しい使い方

派遣社員はレンタカーに近いのか。

 

普段は車は使わないけど、たまに必要な時はあるよね。

 

じゃあレンタカーでいいじゃん。

ずっと維持費がかかるより割安じゃん。

それに、気に入らなかったら使わなきゃいいだけ。

 

うん。たしかに。

 

 

派遣社員猫カフェの猫に近いのか。

 

猫は好きだけど自宅では飼えないんだよね。

 

じゃあ猫カフェ行けばいいじゃん。

ふれあいたい時だけふれあえるし。

 

うん。たしかに。まあ。

まあでも猫にはご主人さまとは思ってもらえないけど。

 

 

派遣社員はレンタル彼女に近いのか。(そんなサービスがあるかは知らないが)

 

彼女ほしいけどモテない。けどカワイイ彼女とデートしてみたい。

 

じゃあお金払って一日だけ彼女のフリしてもらえばいいじゃん。

 

うん。。。。???

これはなんか違う。

 

 

さてこの違いはなんだろう。

 

 

問題はレンタルされる側の自覚。

 

車のような機械なら運転する人が誰であろうと同じように機能する。

 

猫は?

まあ猫も相手が誰であろうと猫としての振る舞いをする。猫が猫のふるまいするのは当たり前。けどご主人さま扱いさせるのは無理。

 

レンタル彼女は?

相手が誰であろうと彼女としての振る舞いをする。

ただし、相手のことを彼氏とは絶対に思っていない。

もし1日だけ相手のことを本気で彼氏と思ってしまうなら病院をおすすめする。

 

 

ではでは派遣社員は?

就業している会社の社員としての振る舞いをする。

ただし、自分が会社の正社員とは思っていない。もし思っていたら病院をおすすめする。

 

しかし逆は?

会社は派遣社員に企業理念を理解することを求める。

社員として会社の看板を背負っている自覚を持つことを求める。

「一生会社についていきます!」という姿勢で臨むことを求める。

 

一時的に必要なモノのレンタル品に対して、自分の所有物なのだと自覚を持たせるのは機械にならできるけど生き物には無理なのでは。

 

今だけ僕を本気で彼氏と思え。

演技じゃだめだ。

 

と、言われても・・・。

 

 

ということで病院をおすすめする。

 

わからない理由をわからない人に聞くな

「どうしてわからないの?」って聞かれると困る。

 

逆のほうが前向きじゃん。

 

 

 

古代エジプト人に

 

「どうして現代人は人力でピラミッド作れないの?」

 

って聞かれたら、

 

「いや、作り方がわからないから作れないんだよ!」

 

としか言えないし、

 

ましてや、古代エジプト人に

 

「どうしてわからないの?」

 

と聞かれたら

 

「いや、わかろうと研究してるけどわからないんだよ!」

 

としか答えられない。

 

 

 

 

逆のほうが建設的。

 

「どうやって人力でピラミッドを作ったの?」

 

この方がお互い絶対上手く行く。

 

 

それでも

 

「いや、作り方は好きなやり方でいいんだから君も作りなよ」

 

と言われたら、

 

「いやそれがわからないんだけど。。。」

 

 

この会話のゴールは果てしなく遠い。

 

 

エジプト人からしたら作り方なんてみんな知っててわざわざ別に教えるほどじゃないから〜。

 

の感覚。

 

 

江戸時代の人が現代にタイムスリップしてきてスマホを見て驚愕したとしても、現代人からした、

「は?これみんな持ってるスマホだけど。別に凄くないじゃん」的な。

 

「いやいや、こんな板みたいなものに人が映って喋って動いて凄すぎる!」

 

この感覚の違い。

 

これが同じ現代人同士でも起きるもんなんだなあ。

7932230540分の1

世界の人口は約80億人いるらしい。

 

私は全員と会ったことはない。

 

全員と自分を比較したことはない。

 

それでも幸せと感じたり不幸と感じたりする。

 

よくテレビで100人の観客にスイッチを持たせてアンケートみたいのをやってるけどこれを80億人でやったらどんな回答になるんだろう。

 

「私は背が高いと思う」人はスイッチオン!

 

ってやったら何人押すんだろう。

 

押す人は何と比較して押すんだ?

アミダクジができる幸せ

毎日少しずつの睡眠不足が日に日に溜まるらしい。

知らぬ間に寝てて「大変!お風呂に入ろう!」とお風呂に入る・・・という夢を見て起きた。

 

 

 

ところで、

 

「わからないことは必ず聞いて確認してから行ってください」

「わざわざ聞かなくても自分で考えればわかりますよね?」

 

 

「良く考えてみてそれでもわからなければ聞いてください」

「考えている時間が無駄なのですぐ聞いてください」

 

 

 

たぶん、仕事あるあるだと思う。

 

「真逆のこと言ってるじゃん」的な。

 

 

けどこれは誰が良い悪いってわけじゃないと思う。

 

いや人によるのだろうけど少なくとも優秀な教育係の下で仕事を教わっている私の場合は、これは真逆がどうこうっている文句にはならない。

 

 

解釈すると、

 

「この部分は分からなかったら聞かなくてはいけないポイントです。」

という場合と、

「この部分は絶対的なやり方はないので自身で判断していいポイントです。」

の場合。

 

この違いが右も左も分からないと「真逆じゃん!」に思えていると解釈している。

 

 

まあこれは教えてくれる人による。

 

機嫌の良し悪しで変わる人だったら最悪だ。

全く同じ質問をしても真逆の反応をされたら右も左も分からない新人は右にも左にも行けずに引き返すしかなくなるから。

 

私は幸運にも右か左か教えてもらいながらアミダクジのように進める環境にいる。

 

その先がアタリかハズレかはまだ見えないけれど。

 

とりあえず結果に進めていることをアタリと思える。

失敗しない方法

 

ギャンプルに絶対負けない方法はギャンブルをやらないことらしい。

 

確かに。

 

 

じゃあ、人生でミスをしない方法はミスが起きない生活すればよいということになるけど。

 

外に出ると交通事故に合う危険があるから出ない。

 

買い物をすると間違えて違うものを買うかもしれないから買わない。

 

朝起きる時間を決めると寝坊するからもしれないから時間を決めない。

 

頼まれごとをすると忘れる可能性があるのですべて断る。

 

 

おお。

こうやっていけばミスのない生活が完成するかも。

 

 

ん?

もしかして、ひきこもりって完璧主義なのかな。

お手軽にミスを増やす方法

ミスを増やしたいのになかなか増えない。

 

どやったらミスを増やすことができるのかしら?

 

と、困っている人のためにミスを増やす方法を私の例で紹介します。

 

 

出かけるために車に乗る

エンジンをかける

何かを忘れてる気がする

財布を忘れた!

家に戻る

ドアを開けようとする

家の鍵を車に忘れた!

 

 

こうやって簡単にミスを増やすことは出来ます。

難しいことはありません。

 

是非挑戦してみてください。