米倉良好の「私、失敗しかしませんので!」

無免許でも意志があればいいのよ

エクセル難しい

仕事が変わって久しぶりにエクセルに触れている。

仕事の9割がエクセルでの作業かもしれない。

 

そこで第一の難関は関数を使いこなすこと。

 

これがなんというか覚えづらし慣れづらい。

数学が得意な人なら相性がいいのかなあ。

「AのデータをBを使ってCにしてDファイルに渡してF一覧を作り出す」

みたいなことをエクセル君にお願いするわけだけど、これを関数という「エクセル語」で書き込んでお願いするわけだがなかなか伝わってくれない。

 

外国のレストランで外国語で必死に注文したら違うメニューが出てきてしまう的な。

 

エクセル君の使う言葉があまりに人間の言葉と違いすぎる。

 

 

昨今のAIの発達を考えたらもっとどうにか出来ないのか?と思ってしまう。

 

 

「hey!siri、このデータなんだけど仕入先ごとに並び替えて商品別の在庫も分かるような表を作って部長にメールしておいてよ」

 

これくらいのレベルになってくれないかなあ。

 

まあそうなると、私の人件費は間違いなく削減されるだろう。。。。

AIは敵なのか味方なのか不気味な存在だぞ。

 

 

これは今までの歴史にも同じようなことがあったはず。

 

100円ライターが発明されたらマッチが売れなくなった、みたいな。

 

これがマッチならまだいいけど、売れなくなるのが労働力となるとこれからの未来が想像できない。

 

便利になると人の価値は減るのか??

便利なものを作り出している人だけが価値がある世界になるのかな。

 

もし子供に「スマホにはgoogle翻訳があるんだから英語の勉強する意味ないじゃん」って言われたら一瞬言葉に詰まるかも。言っていることは正解ではないと思うけど一理あるとも思うから。

 

google翻訳を作った人は英語の勉強の必要性を奪うほどの価値ある人なんだろう。

ああ、だから日本でも学校でプログラミングの授業が取り入れられたりしてるのか。

 

要は、便利なものに負けないためには便利なものを作る側になりなさいってことなんだな。

 

エクセルを作った人は偉大なんだな。自分はその便利なエクセルを利用しているだけ。

けど、エクセルを作った人を恨む時代が来るかもしれない。

 

なんかSF映画にありがちな「人間vs機械」に構図が似てる。

だけど矛盾しているのは、その機械を作っているのもまた人間ってことかな。

 

となると「人間vs機械を作る人間」という構図が正解なのかも。

 

 

 

失敗する方法

成功する方法についての情報は沢山のハウツーがネットに溢れてる。

 

けど失敗する方法って全然情報が無い。

 

なんでだろう。

 

えーと、例えばゴルフでホールインワンをするのが成功で出来なかったのが失敗だと考えてみよう。

 

たまたま遠くから打ったボールが小さな小さな穴にポコンと入るなんて奇跡のような確率ですごいこと。

逆に穴に入らなかったらそれは普通のこと。入らない確率のほうが高いんだから。入らないほうが自然。

 

 

失敗っていうのは実は「自然のまま」にあることを言うのかな?

 

他にもイメージしてみよう。

手術に成功するとか、ビジネスで成功するとか、あとは何だろう。

 

 

なんだか分からないけど、起こる確率が少ないことに物事が進むことを成功すると言って、自然のままに進むことを失敗と言っている面はあるような。

 

自然のままに進むのが失敗だとしたら情報がないのも納得。

だって本来のままで良いってことだから。

 

 

ということは、人間は自然のままなのが嫌いなのかな。

 

りんごが落ちるのは引力があるから。

でも人間は空を飛びたい。

りんごが落ちるのは失敗じゃないけれど、もしもりんごを浮かせることができたら大成功。

 

 

やっぱり人間は自然のままが嫌いなのかなあ。。。

 

 

ルンバ

ルンバが発売された時は「未来がきた!」と思った。

 

今はいろいろなメーカーが自動お掃除ロボットを発売している。

 

他にも今は自動食器洗い機もあるし乾燥まで行う全自動洗濯機もある。

 

どれも憧れるけど値段は高い。

 

持っていなければ持っていないのが普通で自分で掃除する。

 

でももしルンバを買ったら大事に大事に使うことだろう。

ルンバが前から走ってきたら自分が道を開けるかも。

どっちが偉いんだか分からなくなるような。

 

自分のために働いてくれる機械を踏んで壊れたら勿体ない。

 

でももし壊れて修理も出来なくなったら捨てるのがやっかいなゴミになる。

 

 

壊れて機能しなくてもゴミにならない物ってなんだろう。

 

 

思いつかない・・・。

 

 

便利なものに囲まれすぎて価値観がおかしいのかもしれない。

 

テレビがアナログ放送から地デジ放送に変わった時は画質の美しさに感動したけど今はなんとも思わないし。

だけどもし逆に今アナログ放送の画質に戻ったら不満だろう。

 

要は一度物事が便利になるともう以前の不便さに戻れなくなってる。

 

スマホが良い例かな。

 

タバコやお酒と一緒で「便利」には依存性があるんじゃないのかな。

そして依存性のあるものは売り手としては好都合。

 

まんまとその罠にはまっている気がしてきた。

 

タバコやお酒と違って「便利」には健康への害は無いかもしれないけど、何かを失っているような気もしてきた。

 

 

 

マニュアル化する仕事

組織にとっては誰がやっても同じように出来ることが好まれるらしい

つまり経験と勘でやることの逆。

 

きちんとした分かりやすいマニュアルがあり自動化できる部分は可能な限り自動化してミスの少ない環境を構築して誰がやっても同じように成果を出せるシステムを作ることが大好き。

 

だけどそのシステムの構築には経験やスキルが必須になる。なんだかなあ。

 

えーと、つまり同じ様に動くロボットを作るためにはそれを作るためのロボットが必要でまたそのロボットを作るためにはロボットが必要というマトリョーシカ状態。

最終的にはシステム化出来ない部分が重要だったりする。

 

結局は形だけのシステムをアピールするだけになるか、末端だけシステム化されていてそれ以外は経験と勘で作られていたりする。

 

なんていうか無理やりな部分を感じるけど今の仕組みで出来る限界がここなのかなあと感じながらロボットを作るためのロボットになる教育を受ける日々であった。

ルール

仕事で

「その動作無断です」

「そのやり方だとミスが増えます」

「それはいちいち報告する必要ありません」

「その情報は共有しないといけないですよね」

 

何が正解で何が不正解だか分からなくなってきたよ。

多分、結婚して相手の実家に嫁ぐ人は同じような感覚だろうなあ、と思った。何を重視するか。何を評価するか。人それぞれ。組織それぞれ。文化それぞれ。統一した答えなんかない。

 

ここのルールがここの正解です!

あなたの正解に興味ありません!

 

というメッセージで価値観の矯正が行われる日々なんだろう。

仕事なら割り切れるけど、これが生活にまで及ぶのは相当なストレスだろうなあ。

例えば外国に移住した人なんかもそういう体験をしているのかも。

 

多様性を認めて〜、なんて言葉をよく聞くけど簡単なことじゃないなあ。

 

時間を守れと言われる

「日本人は時間厳守」は嘘だ。

と外国人が言っていたという記事か何かを読んだことがある。

 

仕事で朝は時間ぴったりに来たら遅い!と言われ、定時で帰るのは早い!と言われる。

確かに。

 

電車の遅延については日本は世界一少ないらしい。一分でも電車の到着が遅れれば駅ではアナウンスが流れる。

おお、すごい。けどそのために何かを犠牲にしている。

 

多分それは、、「社会的な時間を厳守するために個人的な時間を削っている」ということかな。滅私奉公というかなんというか。

 

「仕事は減らすな。帰る時間は早くしろ。手抜きはするな。有給は使え。でも仕事に穴をあけるな。」

なんなのこれ。

 

どこでアクセル緩めるのかなあ。

 

ああそうか、隠れて手抜きしろってことか。

そして、それが出来ない人間が病んでいくような気がする。